アルペンスキーのトリを飾る、男子スラローム、日本の皆川賢太郎(アルビレックス新潟)が大きな花を咲かせた。メダルへわずか0.04秒差の4位。惜しくもメダルは逃したが、最高のパフォーマンスを見せてアルペンスキー界に偉大な金字塔を打ち立てた。 なお、優勝はベンジャミン・ライヒ(AUT)、2位はラインフリート・ヘルプスト、3位はライナー・シェンフェルダーと、オーストリアがメダルを独占した。
マンフレッド・プランガー(AUT)の代表落ちにより、ランキング16位だった皆川は第1シードに繰り上がることが直前に決定。ゼッケンドローで11番のスタート順を手に入れた皆川は、そのアドバンテージを最大限に活かし、最高のパフォーマンスを披露。1本目にトップから0.07秒差の3位という絶好のポジションにつけたのだった。
勝負をかけた2本目、スタート直後にブーツの第4バックルが壊れるというアクシデントに見舞われたが、最後まで攻めの姿勢を崩さなかった。ゴールした時点では3位、メダルもあり得るポジションを守ったが、1本目トップのライヒに最後に上まわれて4位に押し出されてしまった。しかし日本アルペンスキーの歴史の中で、猪谷千春氏の2位を除けば、最高の成績を残した。
また湯浅の健闘も光った。1本目17位から2本目にジャンプアップ。見事に7位入賞を成し遂げ、「50年ぶりの入賞」に、「ダブル入賞」という華も添えた。
なお、佐々木明(ガーラ湯沢)は1本目8位とメダルを狙えるポジションにいたが、2本目スタート3旗門目に片足反則を犯し途中棄権した。生田康宏(東京美装)は2本ともコースからあふれる失敗をしたが、スイッチバックして成績を残した。その姿には大きな拍手が贈られた。
◆◇しびれるような感動と興奮◇◆
それにしても惜しい結果だった。しかし、皆川がスキーを通して本当にやりたかったことの一部は、実現できたオリンピックだったのではないだろうか。
このレースを多くの人がテレビで観戦したことだろう。その中には、アルペンスキーを初めて見るという人も、決して少なくないはずだ。その人たちは今回のレースにどんな思いを寄せただろうか。「最高に興奮した」「アルペンスキーって面白いな」と、きっと思ってくれたに違いない。
ヨーロッパでは最もメジャーなウィンタースポーツだろうが、日本でも競技者登録をしているだけでも数千人を超えるほど競技人口が多かろうが、アルペンスキーはプレーヤーのみにしか理解できないマイナーなスポーツなのが現状だ。同じスキーのジャンプやモーグルと比べると競技人口は数十倍もいるにもかかわらず、観戦する側にとってはマイナーな競技として認識されている。
長野オリンピック終了後、すべての競技を放映したNHKは、視聴者からアンケートをとったが、「面白かった競技」のベスト50にアルペン種目は1つも入れなかった。それどころか、票自体もほとんど入らなかったという。ヨーロッパでは冬のスポーツの華と呼ばれる種目の地位も、日本では、メダルが取れなければこんなものなのだ。
そんな現状を皆川は変えたいと思っていた。自らの手でメダルを取ることによって・・。しかし、「スキーをメジャーにする」と公言して臨んだ4年前のソルトレイクシティは無残な結果だった。オリンピック前の怪我と不調により、メダルを期待できないポジションに低迷し、自分でも自分を信じきれずにオリンピックのスタート台に立っていた。そしてあっけなく旗門不通過で終了。日本での取り上げられ方も、ほとんど無視に近い状態だった。日本でのアルペンの地位は、まったく変わらなかったどころか、失墜するほど悲惨な幕切れだった。
しかし、今回は違った。皆川はアルペンスキーを知らない日本の人々に対して、自らのパフォーマンスで間違いなく釘付けにた。テレビの前で多くの人がしびれるような瞬間を味わったはずだ。皆川が滑った約2分間は、どんな競技のどんな瞬間よりも興奮したと言えるほど、刺激的なものだった。今回のこのスーパーランにより、アルペンスキーと皆川賢太郎の名前は、きっと多くの人の記憶されたはずだ。
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